高校二年生、今日からまた新しいクラス。
あゆは少しの期待を胸に、教室に一歩踏み出した。
その瞬間、何かにつまづいて転んでしまう。一瞬混乱したがすぐに理解した。 誰かが足をひっかけ、転ばしたのだ。すぐ後ろで、女子の小さな笑い声が聞こえてくる。
クラスが変わればいじめも減るかと期待するが、それは大きな間違い。毎年期待を裏切られていることを忘れ、また期待してしまう自分に嫌気がさす。
こんなこと慣れている、大丈夫。
自分を奮いたたせ、立ち上がろうとする。そのとき、あゆの肩を誰かが叩いた。
「おはよう、木立さん。また同じクラスだね、よろしく」
声をかけてきたのは、上杉(うえすぎ)京夜(きょうや)。
彼とは一年のとき一緒のクラスで、なぜか話す機会が多かった。
学年トップをキープするほど頭がよく、ルックスもいいので女子に人気があった。彼は人から好かれる術を心得ているようで、先生からの信頼も厚く、なぜか男子からも好感を得ている。
あゆとは違い、世渡り上手だ。しかしそんな彼が、なぜかあゆにはよく絡んでくる。
そして、他の人に対する態度とあゆに対する態度は、あからさまに違っているのだ。
「あ、顔にご飯粒がついてますよ」
「えっ!」あゆは慌てて鏡を鞄から出そうとする。その拍子に鞄の中身が床に散乱した。
急いで拾い集めると鏡を探し出し、それに映った自分を凝視する。どこにもご飯粒なんてついていない。
「上杉君、どこについてるの?」
不思議そうな表情であゆが京夜を見つめると、彼は下を向き必死に笑いを押し殺していた。
その様子を見て、やっとからかわれていたことにあゆは気づく。
「……またからかったの!」
真っ赤になったあゆが頬を膨らませる。
笑い終えた京夜は、満足そうに頷き、他の人には見せない意地悪な笑みを見せた。「騙される方が悪いんですよ」
京夜はさっさと自分の席へ戻っていく。
あゆは悔しい気持ちを抱えながら、その背中を見送ることしかできない。言い返しても勝てっこないのは実証済みだった。
いつもこんな感じであゆをからかう京夜。
普段の彼は紳士的で誰に対しても優しい。が、あゆにだけ意地悪だ。あゆ自身困っているのだが、周りの女子にはそんな二人が仲良く見えるらしく、あゆは女子から敵視されていた。
ただでさえいじめられるのに、彼のせいで増幅されているような気がしてならない。そんなことは関係ないというように、京夜はおかまいなしだ。
絶対私が女子から嫌われていることは知っているはず。自分が人気者ということも彼はわかっている。 からかって遊ぶのは彼の趣味のようなもの。それに私が選ばれ、おもちゃにされているのだ。 あゆは京夜に嫌がらせされているとしか思えなかった。 新しい教室といっても、特に何も変わらない。 ただ変わるのは、クラス替えで変わるクラスメートと担任の先生くらいだった。あゆにとってクラス替えは重要なことだ。
これまで繰り返されてきたいじめの数々から、逃れられる可能性があるかもしれないからだ。
しかし、先ほどの女子たちの反応を見る限り、それは期待できそうにもない。ガラガラッ。
教室の前の戸が開き、教師が入ってきた。
初めて見る先生だ。生徒たちは一斉に着席する。
見慣れない教師に、興味津々の様子で生徒たちがささやき出す。
特に女子が騒ぎ始めていた。「かっこよくない?」
「イケてる」 「あれが担任? ラッキー」女子の囁く声が次々に飛び交う中、熱い視線を受けるその教師はにこやかに挨拶を始める。
「このクラスの担任になりました、須藤(すどう)螢(ほたる)といいます。よろしくお願いします」
須藤が微笑むと女子から歓声が上った。
「先生! 彼女いますか?」
さっそく女子たちの質問大会が始まる。
女子たちの目が獲物を狙う目つきに変貌していた。「今のところ、いませんね」
須藤の返答に、女子の歓喜の声が湧いた。
「じゃあ、どんな女性が好みですか?」
女子の期待を込めた視線が須藤に向けられる。
「そうですねえ……優しい人、ですかね」
須藤があゆを見て微笑んだ――ような気がした。
あゆは須藤と目が合ったことに驚く。しかしすぐに視線は外される。
他の生徒は誰も気づいていない。
相変わらず女子は騒いでいて、男子はふてくされている。きっとたまたま目が合っただけだ。
あゆは気のせいだろうと思うことにした。
それからも、須藤は女子の質問攻めに笑顔で答えていった。 とても好感が持てる先生のようで、いつの間にか男子とも打ち解けていた。「みなさん、もうそろそろ、質問タイムは終わりにしましょう」
少しブーイングが起こったが、みんな素直に従う。
生徒たちはもう、須藤になついてしまったようだった。
大地もあゆと同じクラスだった。一年のときは違ったから、あゆの様子を把握するのが大変だったが、これからは楽になりそうだ。
あゆを観察していると、つくづく思う。
どうしてあんなに自分に自信がないのだろう。自分のことなんて、誰も関心ないと思っているに違いない。
幼い頃に出会ったあゆは、何かを抱えている影はあったものの、まだ純粋無垢で、天使のような笑顔を持つとても愛らしい少女だった。
今も純粋無垢なのは変わらないのだが――心の内で何かを秘め、殻に閉じこもり人を拒絶しているように感じられた。
大地が見つめる先には、あゆがいた。 あゆはうつむき加減で愛想笑いばかり浮かべている。「昔は、あんな奴じゃなかったのに……」
大地は寂しそうにあゆから視線を外した。
高校二年生、今日からまた新しいクラス。 あゆは少しの期待を胸に、教室に一歩踏み出した。 その瞬間、何かにつまづいて転んでしまう。一瞬混乱したがすぐに理解した。 誰かが足をひっかけ、転ばしたのだ。 すぐ後ろで、女子の小さな笑い声が聞こえてくる。 クラスが変わればいじめも減るかと期待するが、それは大きな間違い。毎年期待を裏切られていることを忘れ、また期待してしまう自分に嫌気がさす。 こんなこと慣れている、大丈夫。 自分を奮いたたせ、立ち上がろうとする。 そのとき、あゆの肩を誰かが叩いた。「おはよう、木立さん。また同じクラスだね、よろしく」 声をかけてきたのは、上杉(うえすぎ)京夜(きょうや)。 彼とは一年のとき一緒のクラスで、なぜか話す機会が多かった。 学年トップをキープするほど頭がよく、ルックスもいいので女子に人気があった。 彼は人から好かれる術を心得ているようで、先生からの信頼も厚く、なぜか男子からも好感を得ている。 あゆとは違い、世渡り上手だ。 しかしそんな彼が、なぜかあゆにはよく絡んでくる。 そして、他の人に対する態度とあゆに対する態度は、あからさまに違っているのだ。「あ、顔にご飯粒がついてますよ」 「えっ!」 あゆは慌てて鏡を鞄から出そうとする。その拍子に鞄の中身が床に散乱した。 急いで拾い集めると鏡を探し出し、それに映った自分を凝視する。 どこにもご飯粒なんてついていない。「上杉君、どこについてるの?」 不思議そうな表情であゆが京夜を見つめると、彼は下を向き必死に笑いを押し殺していた。 その様子を見て、やっとからかわれていたことにあゆは気づく。「……またからかったの!」 真っ赤になったあゆが頬を膨らませる。 笑い終えた京夜は、満足そうに頷き、他の人には見せない意地悪な笑みを見せた。「騙される方が悪いんですよ」 京夜はさっさと自分の席へ戻っていく。 あゆは悔しい気持ちを抱えながら、その背中を見送ることしかできない。言い返しても勝てっこないのは実証済みだった。 いつもこんな感じであゆをからかう京夜。 普段の彼は紳士的で誰に対しても優しい。が、あゆにだけ意地悪だ。 あゆ自身困っているのだが、周りの女子にはそんな二人が仲良く見えるらしく、あゆは女子から敵視されていた。 ただでさえ
「綺麗……」 登校していく生徒たちの間を、桜の花びらが舞い散っていく。 並木道の桜たちがざわめき、春の暖かな風が木立(きだち)あゆのおさげ髪を撫でていった。 眼鏡の奥にある瞳には綺麗な桜が映っている。「桜か……。あの子、元気かな」 桜を見ると思い出す。 ある男の子のこと。 小さい頃、悲しいことや辛いことがあったとき、よく立ち寄ったあの場所で出会った男の子。 ずっとあゆの思い出として心の支えとなっていた。 あゆは小さい頃からおとなしく、人と関わるのが苦手だった。 目立つのが嫌いで、いつも定位置は隅と決まっていた。 みんながきらきら眩しくて、あゆ一人だけが違う世界の住人のように思えていた。 そんなあゆのことをいじめる者も多かった。 おとなしく反抗しないあゆは、標的にしやすかったのかもしれない。 その影響もあり、さらにあゆは人と関わることが臆病になっていったのだった。 家族とも折り合いが悪かった。 父はごく一般的な普通の人だったが、そこまで愛のある人ではなかった。あゆのことも適当に可愛がってはいたが建前のように感じられた。 母は父の再婚相手で、あゆと血が繋がっていない。 あゆと仲良くするつもりは無いようで、はじめの挨拶のときに笑顔でこう言った。「ドライにいきましょう、あなたと私は他人なんだから。私も好きにするし、あなたも好きにしなさい」 この人は母親になんかなる気はさらさらないんだなと思った。 学校でも家でも居場所がなく、孤独で寂しかった。 誰かを心から求めていた。 そんなとき彼に出会った。 私の唯一の居場所、彼の存在が私を救った。 彼は今頃どうしているだろうか……。 昔に思いを巡らせ、前をよく見ていなかったあゆは、誰かにおもいっきりぶつかってしまった。「あ、す、すみません」 「なんだ? おまえ」 その声にびくっと小さな体が跳ねる。 恐る恐る顔を上げると、こちらを鋭い目つきで見下ろす、大川(おおかわ)大地(だいち)と目が合った。 先生からは要注意人物と扱われ、生徒から恐れられている存在。 彼は校内でも有名な不良少年だった。 ど派手な金髪が太陽の光に当たってさらに色を増している。両耳にはピアスがいくつも光輝いていた。 そんな彼が、切れ長の鋭い目であゆを見下ろしてくる。 ど、どうしよう…
月明かりしかない静かな夜の公園。 剣が激しく重なり合う音だけが鳴り響いていた。 暗闇の中、二つの影がせわしなく動いていく。 影が交わる瞬間、剣がぶつかり合う音が大きく鳴った。 一人は屈強そうな肉体をもった男だが、まだ大人とはいえない幼さが残る青年のような顔立ちをしている。 相手をまっすぐ見据えるその眼は、血のように真っ赤に染まり、浅い呼吸を繰り返している。 その男に真っ向から向かい合うのは、小柄な少女だった。 長い黒髪から覗く大きな瞳に小さく色白の顔。 華奢な肩を上下に揺らしながら浅い呼吸を繰り返している。 その体には無数の傷があり、傷からは血が滴り落ちていた。 圧倒的に男の方が有利なのは目に見えている。 男が少女に問いかける。「おまえ……なぜ倒れないっ」 男はわからなかった。 なぜあそこまでボロボロになりながら、立っていられるのか。 ――命を張れるのか。 あの小さな体のどこにそんな力が宿っているというのか。 少女は口の中に溜まった血を吐き出すと、不敵に笑った。「そんなこともわからねえのか、てめえ」 その可愛らしい容姿からは想像できない言葉遣いだ。 男も以外だと言わんばかりに眉を持ち上げる。 少女は男をまっすぐ見る。 その瞳はとても強い意志と光を放っていた。「腐りかけたその魂を叩きなおすためだっ!」 少女は手に持っていた白く輝く剣を男の心臓へ向けてかざした。 男は数秒少女を見つめたあと、可笑しそうに笑う。「おまえ、馬鹿か! こんなことしても無駄だ、俺は変わらない! どうしたって変わらない、どうしようもないことがあるんだ。 努力ではどうしようもないことが、この世にはあるんだ! 現状も、自分も、何も……変わらないんだ!」 男は、苦しそうに叫んだ。 そして、何かを消し去るように首を振った。 男は少女を暗く淀んだ瞳で見つめる。「……おまえは無駄なことをしてるんだぜ、無駄なことに命をかけてる。 それでおまえに何の得がある? おまえが死んだら、ただの無駄死にだろうが!」 男は右手にある黒い剣を強く握りしめる。「うおおおっ!」 男が剣を振りかざし少女に突っ込んでいく。「無駄じゃねえ。なぜなら、私は決して、おまえになんか負けないからなあっ!」 男と少女の剣が再び交わり、二人の間に